伊多波宗周「統治すれども君臨せず」
―プルードンとアナーキー―
カトリーヌ・マラブーも指摘するように、プルードンは、『所有とは何か』(1840)において、「アナーキー」の語に意味上の革命をもたらした。それはもはや、混沌や無秩序を指すのではない。プルードンは言う――「社会はアナーキーのうちに秩序を求める」。アナーキーとは、「私たちが日々近づいている統治形態」なのである。今回の講演では、『所有とは何か』の議論、およびその前年の『日曜祝祭論』(1839)に登場する「統治すれども君臨せず」という言葉を手がかりに、プルードンにとってアナーキーがどのようなものであったかを押さえたい。そのうえで、今日、アナーキーをどのようなものとして捉えうるか、やや自由に考えてみたい。
カトリーヌ・マラブー「プルードン――不労所得から剥奪へ:記憶なき隷属の系譜」
本稿は、ピエール=ジョゼフ・プルードンの『所有とは何か』を、哲学とアナキズムの関係に関するより広範な研究の文脈に位置づけることで、哲学的な再解釈を試みるものである。カール・マルクスが「所有とは窃盗である」という有名な一節を経済的な観点から解釈し、窃盗を剰余価値に還元したが、本稿ではそのような解釈はその最も深遠な政治的・象徴的意義を見落としていると論じる。
